からだ学研究所

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明るい介護のはじまりはじまり

明るい介護のはじまりはじまり~vol.1

来月母が亡くなって6年。7回忌のなります。
供養とは「忘れないこと」「思い出すこと」

私が介護生活に入ってから両親をどう捉えるようになったか
自分自身の家族の中での役割生きるということの意味など
たくさんの思いを備忘録として残しておくことにする。

これはおそらく今後の私の人生の大きな宝物になるはずだから。。。
そして介護の話をすると

「大変ねー」と言われずに

「おもしろいねー」と言われる私の介護に対する価値観。

自然な思いをみなさんにお伝えすると、それはひょっとしたら同じ介護者の方のお役に立つ思考回路も含まれているかもしれないと思う。

さあ。日々のおもしろ介護ネタ。。。語ってまいりますよ~。

母の持病【その①】

私の母は30代後半から更年期が始まり、50代にはリュウマチと診断された。関節があちこち痛くなり家事もままならないことが多かった。

私は高校生の時から家族の夕飯を作ったり、家事を手伝うことが多かった。

リュウマチというのは自分の免疫力が自分の細胞を攻撃する自己免疫疾患。

敵でもないものに対して必要以上に反応して自身の関節を過剰に攻撃、防衛する病気だ。

私の記事を読んでくださっている方はもうお気づきだと思う。

病気の有り様はまさにその人の有り様。つまり今だからそう思えるようになったが母はずっと自分の心を攻撃してきたことになる。

母はもともとはとっても活発な人で子供時代は自他共に認めるおてんば娘。中学高校時代は足が早く、大阪府の大会に出たり、そのとき入っていたソフトボール部ではアンダースローのエースだったという。

体育大学への推薦の話もあったが当時の祖父母は農地を持っていて家には牛や鶏もいた。女の子が大学なんて。。。という時代で卒業後は鉄鋼の会社の事務員になった。

今も梅田でその看板を見ることができる。ここで働いていたのか。。。と思いながら通ることもある。当時も社長に可愛がられて秘書のような仕事をし「銀行の合間にちょっとデパートに寄ってみたりした」などどいたずらっぽく思い出話をしてくれる。

結婚はいわゆるお見合い。。。というか見初められ婚というか。父の兄と母の姉がもともと結婚していてお姑さんが商売のおうちだから嫁同士がもめないように・・・と妹を嫁に。。。と言ってこられたそうだ。

姉の嫁ぎ先に断ることもできず付き合っている人がいたわけでもなかったのでそう言ってくださるのならと父と結婚した。

その時から母の商売家の嫁生活が始まることになる。

続く・・・